器用な人間ですか?

珍しく夜にブログを書きます🌙
寝る前の、文章を書く時間。なかなかよい。

最近また本を読むのが心地いい季節になったなあと個人的に思ってます!
読書の秋、とか言うけれど、
わたしは春になると創作や物思いにふけったり、ぼーっとしたり、活字の空想の世界に旅しがちです(笑)。あったかくなるとちょっとぼんやりするんかね。

今週読んだ本は、好きな作家-太宰治の「人間失格」「晩年」の2冊。
今は堀辰雄の「美しい村・麦藁帽子・風立ちぬ」を読んでるところ。
なんたって、来週の金曜ロードで「風立ちぬ」やるからさあ、それまでにもう一回小説読んどこ〜!って思ったのよww


読んでる途中のは扨置き。
わたし なんで太宰好きなんかな?って思ったの。



合う・合わないが分かれる作家だと思う。
結局何言いたいん?っていう呆気ない短編も多いしなあ。登場する人間はだいたい酒と薬に溺れてるどうしようもないヤツやし。


でも、なんか言葉の端々に
うわっ、この感覚。
っていうものを感じるんだよな。


たとえば、

数学の教科書を開いてただその数字の羅列を眺めていたこと、ありますか?

夏の盛りに、秋のもう忍び寄っている気配を感じたこと、ありますか?

嘘をつかぬようつかぬよう、努めすぎて全てが嘘なんじゃ無いかと考えすぎたこと、ありますか?





普遍的なあるあるとは言いにくい、名言とも言えない端書きに、なんか共感できる部分があったりする。






生きにくいなあと思っていました、こどもの頃。
早く大人になりたかったです。
大人になった今、楽しいです。
漸く生きやすくなったと思います🤗



わたしはめんどくさいちびっ子でしたので、こどもの“ひねくれ”的側面はすんご〜く共感できます。(笑)
顔見てたらわかるよ。
納得いかないことあるよねえ。って


ようい、どん!で
徒競走が始まって、
後ろから踏み倒され何十人もにはっ倒されて、起き上がったころにはみんなはトラック半周向こう。
ということは物理的にも、心理的にも過去ありました〜。
悪意のない不慮のものです。
足が遅いのに人の前にいたからです。

それからというもの、器用な人たちに さっと何かを掻っ攫われたときは、幾度となくこの出来事を思い出しました。


でもわたしには信念があったので、
わたしにはわたしの常識があったので、
わたしには捻くれ根性の勝気があったので、
生まれてこの方いじめられたことは無いです。いじめさせません(笑)。喧嘩して負けたと思ったことがない。
嫌がらせをされた時はあらゆる手段で犯人を突き止めてどーゆーこっちゃと問いただしたからです。
(これがまたわたしのあかんとこ。今も治らへんのや…)
陰口を言われれば、こっちから本人にその話をふっかけたりしてたのう。


でもそんな子どもだけじゃないから。。。

だから、
子どもの前では「いい大人」でいたいのかもしれない。
不器用なやつらのことが好きだから。
大人に注目されがちな子どもの影で目を丸くして大人をじぃっと見ているこどもを、ほっとけないのよ!






あなたは器用な人間ですか?
と聞かれたら、大半の人は
「不器用です」と言うと思う。


誰しも踏んだり蹴ったりな経験があって、器用に見られるのは辛いんでしょうな。



幸か不幸か、わたしはよく「器用」だと思われます、というか言われてしまいます。
いやあ、、一番遠い所にいるのですが、
もうそれはそれでいいかぁと思ってます(笑)
何をやっても下手くそで一度でなにかできた試しがない、人が何を考えているか忖度(本来、悪い意味ではないことばなのでね)して話すべきか黙すべきか複雑な大人生活。
だけど、それが器用と思われているのならもうそれは「ポオズ」ですよ!
太宰の言葉を借りるなら。
うん、昔の話を持ち出すのは粋じゃないよね。


今の私がそう見えてるなら、
それでよし。



読んだことない方には、「道化の華」、一度読んでみてほしいな⭐️